風の海峡を歩いた日

 海底トンネルを潜り抜けると下関。会食ではみな酩酊いちじるしく、パナマ運河式閘門が云々、宝塚歌劇の公演といえば云々、「中学生日記」は東野英心で云々、めいめい好き勝手なお喋りにふけって、その場のスナップ写真すら撮り忘れている始末。翌朝は唐戸市場へ行き、お鮨を1貫から選りすぐりできるのを楽しんだ。河豚の揚げものを頼んだら、はい顔は二枚目、フライは1枚、またお釣りのやりとりに、500万両のお返しねと、売り子のおばさんが口上いっさい淀みなく大盤ぶるまいで圧倒された。

 海峡を隔てた対岸に渡るため、関門連絡船に乗る。曇天で、わりに冷え込む日だったが、平生このような機会がないものだから、その珍しさに吹きさらしの甲板で踏ん張っていた。尻に力を込めてベンチへ身をあずけ、襟巻に顔をうずめて、乱れ髪になりながら水上を高速移動、ものの5分であっけなく門司港に到着。

 つい先の秋、これもやはりどんよりとした一日だったが、地ビール片手に跳ね橋を渡ったり、畳みかけの出店を冷かしたり、煉瓦建築の旧税関で催されている市民の方々の美術展を見学したり、少しながらこの地を回ったことがあったので、今回は散歩を割愛した。

 駅前広場の片隅に、バナナの叩き売り発祥の地を示した碑が立っている。普請中につき瀟洒な駅舎の全容を拝めないのが残念に思うけれど、殺風景な改修現場の白い囲いもお子たちの手によって賑やかに彩られ、よく目を凝らすと香具師が描かれている。半端な時間を持て余し、記念撮影用の国鉄時代の制帽を被ってみたり、お約束の駅名標がぶら下がるプラットホームを所在なく歩いたりした。

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 鹿児島本線は海辺をひた走る。赤黒の豹柄みたいな座席に腰かけ、斜面のコンクリートが剥き出しになった空疎な土地や、ごつい造りの製糖工場の脇なんかを過ぎ、そのうちに小倉の繁華街を抜けると、やがて戸畑で下車。

 もうそこには、いつも切なく愛おしく眺めたい大分麦焼酎二階堂のテレビコマーシャルのうち、「風の海峡」編でお馴染み、若戸大橋が中空を横断していた。この赤い吊り橋の真下には公営の若戸渡船の、マッチ箱みたいな乗り場がある。入口には注連飾りがあり、係員のおじさんの詰め所には鏡餅がのぞけ、お正月の残り香がした。すでに気分は、映像で素顔を晒さぬコートにシャッポのあの中年男めいてきて、念願の乗船を果たす。父親に引率された、揃ってマルコメ君のような3人兄弟がマクドナルドの紙袋を携えているほか、小ぢんまりしたデッキに人は見当たらず、のんびりと出航。

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 若松ではこれもやはり撮影に使われていた、上野海運ビルへ。踊り場に生けてある野の花に感じ入りながら、軋む階段をゆっくり昇る。吹き抜けの、ちょうど天井と底にあたる両面に嵌め込まれた色つき硝子を、ぐるりを回る通路から見上げては見下ろした。3階のカフェでブレンドの小休止、ぼんやり過ごす。石油ストーブの匂いが、思えばなんとも似つかわしい建物。対岸の山上では洞海湾の交通をさばく船舶信号が、絶えず文字を明滅させている。同じく鉄塔ふうのものがCMでもちらと写るのだが、そもそもどうしてあのような画を紡ぐことができるのだろうか。

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 有名とのクロワッサンをかじり、若松駅へと歩く。時刻表を調べると、先々の乗り継ぎの都合からしばらく待つ必要があったので、若松市民会館に足を運ぶ。館内は消防団の方々が大勢いらして、そういえば門司で祝砲らしい音が響いたり、移動中には消防車がたくさん見えたり、北九州市出初式が催されているようだった。火野葦平に関する資料室は、制服姿の皆さんが参集しているホールを進んだ奥にあった。

 遠い昔、『麦と兵隊』の書影を教科書で見かけた際、煙草の貰い火をする横顔が猿に見えるなと思ったのみで、若松の出だというこの書き手の作品を読む機会はなく、だからこの日、火野つながりで葦平と正平とがいつも混じるんだよねという同行者の声にも、ひどく惑わされた。作家ゆかりの品々を集めた場で感ずるのは、その人となりがひときわ濃く立ち現れるということだ。著作の頁を繰るのに勝るとさえ思うのは、紙上から想像して広げてゆく己の力の乏しさも大いに影響しているはずなのだが、朱の入った原稿用紙や、角が擦り切れた帳面や、手垢にまみれたペンといった現物しか発しえない固有の磁場というべきものは、きっとあるのだろう。葦平については零からの気持ちで、年譜を眺めた。昭和34年の文壇酒豪番付でめでたく西横綱にノミネートされていること。知己の人々を酒宴へ招くためにこしらえた往復葉書の凝りよう。いつもの癖で関心は傍流に逸れがちだったが、興味深く拝見した。また企画展示から、この地において「裏山書房」として活躍された、山福康政という方の存在を知る。どこか滝田ゆうを思わせる筆致で地元の暮らしを描かれており、すこぶる気になったのだが、電車の出発も迫っているということで、窓口に売られていた山福さん装画の『糞尿譚』を、不勉強を恥じるように購ってから資料館を後にした。

 JRで移動。乗り換えの折尾駅では、独特の抑揚をもって呼びかける弁当立ち売りのおじさんを見かけた。美しい三色丼のような、東筑軒のかしわめし。予定上どう考えても食べる余地がなかったので、泣く泣くこらえる。夕刻の博多着。昼間の忘れえぬ光景を追想しながらの二階堂だと、意気込んで宣言したまではよかったが、麦酒、ハイボール、酎ハイと各種しこたま続け、結局だらしなく飲み忘れてしまう。