2月のこと―『ぽかん』あとがき

 2月は悲喜交々で過ぎ去っていった。籍を入れ、誕生日を迎えてと、私事にそれなりの動きがありながら節目の意識は乏しく、平生以上の飲み食いに励んでいたら頬の吹き出物がまるで治らなかった。年度末に差しかかり平日は忙しかった気もするのだが、喉元を過ぎれば云々でもう具体的に思い出せない。

 遡って師走、つねづね読者として発刊を愉しみにしていた『ぽかん』の編集長さんから、思いがけないご連絡をいただいた。まずもっての締め切りとしては、2月の半ばを目途にとあった。堀江敏幸さんの一編に触れつつ、祖父が逝ったときのことを書かせてもらった。題して「私的、悼むことについて」。得がたい機会ゆえになおさら、いまや読み返すと朱を入れたい反省ばかりが浮かんでくる拙い中身なのだが、なんとか期日までに脱稿を果たした。

 そうやって迎えた2月の末日には、春一番がばさばさと荒々しかった。その日、あまりにも急なのだが、持ち場の課長が亡くなった。始業時刻からずいぶんと経っても出勤せず、携帯は繋がらなかった。心配してアパートに向かった幾人かが、返事のないドアを破ったと聞いた。心臓の病だったという。

 課長は郷の東京へ戻る前、こちらで荼毘に付された。焼香のため皆で市営の斎場へ伺ったのは、もう暦の上も3月に入り、暖かな昼下がりだった。部長は持参した鬼ころしの紙パックを手向けていた。課長は酒が好きだった。土砂降りの夏の夜、男衆で濡れ鼠になって、コンビニ跡を改めた場末の居酒屋に走り込んだ。忘年会では、お猪口の選択に余念がなかった。万事はっきりとする人だったから、主のいない座席のそばを通るたび乾いた切なさがあった。曲がりなりにも悼むことを軸に綴ったばかりの小文と、いま身を置いている現在とが、突然よじれるように交錯してうろたえた。

 こうして色々があって、きっと忘れることのないひと月になるだろうと思う。

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 紙片の詰まった缶を弄っていたら、いつか複製していた祖父の写真が現れた。10代の半ばといったところだろうか。